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鞆帆前掛
 
 
品質と信頼を保障する鞆帆布とクリコットンは株式会社クリケットの商標登録です。
帆の中にある三つ巴(鞆絵)は 広島県福山市鞆町のシンボルマ-クです。
鞆帆布の製品は、国内の素材を使用し、国内で生産しております。



《本格柿渋染
        について


当社は、独自の方法にて柿渋を繰り返し染めつけることを行い、より良い風合い、色合いを表現しております。
当社の「柿渋染」は天然100%の精製無臭品柿渋液を使用しております。
したがって、出来上がった商品(生地)に 色差が生じることをご了解くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。



《鞆の浦帆前掛
        について


先染めした糸を使い織り上げ、巾約47cmの両耳使いの生地に仕上げました。
その巾そのままで前掛けを作製いたしました。




《鞆今昔物語》

詳しいお話は 「鞆今昔物語」をご覧ください。



《鞆の浦》

鞆の浦の磯の木見むごとに
相見し妹は忘らえめやも


詳しいお話は 「鞆の浦」をご覧ください。



《沼隈郡誌より》

詳しいお話は 「鞆の浦と平家」をご覧ください。




《日東第一形勝の
      いわれ》


詳しいお話は 「日東第一形勝のいわれ」をご覧ください。





鞆今昔物語 


〈神話、素盞鳴命と疫隅の浦(鞆)〉

天の国、高天原に住む神々のうち、 これは又どうした異変か?、素盞鳴命(すさのおのみこと)という横暴な荒神が現れた。そこで如何に寛容な天照皇太神(あまてらすおおみかみ)も、天の岩戸という頑丈な岩窟の中にお隠りになり内から堅く扉を締められたのであった。
サアー大変!! 天の国、 高天原も葦原の中つ国も、ことごとく暗闇の世の中となり、心良からぬ悪神はこれ幸いとばかりにのさぼり始めたので、もろもろの妖いがあちこちに発り始めた。
ここに至って八百萬の神々は大いに心痛のうえ、天の 安の河原に集まり一大協議したのであった。

その結果、何はともあれ、皇太神の心をしづめるために音楽入りで神楽を舞うこと、その舞姫には天鈿命(あめのうづめのみこと)というグラマーの女神を推すことに衆議は 一決した。

このたびの大騒動の元凶、素盞鳴命をこのまま不問に付すことは出来ない!!とばかり、世論のおもむくところ、遂に素尊は大勢の神に捉らえられ、先づ尊の表看板であったいかめしいあごひげを全部剃り落とされ、 おまけに手足の生爪をはがし取られて人間の住む下界に追放されてしまった。

すなわち神話時代の素盞鳴命が鞆に来られたということ。現に或る旧家では二千年以上の昔に、当時十七軒しか住んでいなかったと伝えられる今の 江之浦あたりで、旅づかされた素尊に粟飯と胡瓜を食膳に盛ったという故事来歴を、遠祖から家伝として伝えられている家がある。

その他、沼隈郡誌の中にも次のような珍しい記事がのせられている。


“素尊の 国土経営”

天照皇太神、月読命、素盞鳴命の三神分知の世となっては、出雲国簛の川上に於て大蛇を斬り給ひし素尊、備後に下り五月蝿なす荒ぶる神々を掃討しつつ芦田川に沿ふて穴の海に出で、海岸を伝ふて沼隈に 移り、疫隅の浦より竜舟を艤して南海に出でまし、再び還り来って国土経営に年あり、後出雲に入り給う。
爾来沼隈地方は出雲大国主一族の勢力圏内に属するものと見るべし・・・・・・。




〈柿渋染について〉

鞆の最古の家号と自称される「渋柿屋」一族の古老の話によりますと、遠祖は、
当時二十軒足らずの村落で、もっぱら漁労によって生活し、そこへ空腹の大男 (素盞鳴命=すさのおのみこと)が十人余りの配下を従えて、今の江の浦と呼んでいる海辺にたどり着いた。

大男の一行は、それより一ヶ月余りも浦の浜辺の小屋に滞在され、感謝の意味か、諸病をなおす医薬の術を伝授し、また渋柿をつぶし、柿の渋を取る方法も授け下された。 それを代々が秘伝として受け継ぎ、江戸時代に「渋柿屋」の屋号を名乗った。柿渋の実から取った液汁は、網、麻、紙に塗れば腐蝕を防ぐ唯一の薬剤として昔の人々は珍重していたものです。


2011-11-29



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