Search :
 

      トップページへ |商品一覧 鞆今昔物語 鞆の浦 鞆の浦と平家 日東第一形勝のいわれ サイズ表 
  
 


ジャンルリストへ
かばん・袋物
雑貨
シャツ
ジャケット
作務衣
鞆帆前掛
 
 
品質と信頼を保障する鞆帆布とクリコットンは株式会社クリケットの商標登録です。
帆の中にある三つ巴(鞆絵)は 広島県福山市鞆町のシンボルマ-クです。
鞆帆布の製品は、国内の素材を使用し、国内で生産しております。



《本格柿渋染
        について


当社は、独自の方法にて柿渋を繰り返し染めつけることを行い、より良い風合い、色合いを表現しております。
当社の「柿渋染」は天然100%の精製無臭品柿渋液を使用しております。
したがって、出来上がった商品(生地)に 色差が生じることをご了解くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。



《鞆の浦帆前掛
        について


先染めした糸を使い織り上げ、巾約47cmの両耳使いの生地に仕上げました。
その巾そのままで前掛けを作製いたしました。




《鞆今昔物語》

詳しいお話は 「鞆今昔物語」をご覧ください。



《鞆の浦》

鞆の浦の磯の木見むごとに
相見し妹は忘らえめやも


詳しいお話は 「鞆の浦」をご覧ください。



《沼隈郡誌より》

詳しいお話は 「鞆の浦と平家」をご覧ください。




《日東第一形勝の
      いわれ》


詳しいお話は 「日東第一形勝のいわれ」をご覧ください。





日東第一形勝のいわれ


〈日東第一形勝の福禅寺〉

人皇第六二代村上天皇(947〜964)の勅願(天皇の祈願)の古刹(古い寺)として知られる福禅寺は、空也上人が 開基(創立)したお寺として、次のような一場の物語りを秘めている。

承平年間(931〜937)のことと伝えられるから今(昭和48年)から千年と三、四十年昔のことである。
備後の国沼隈郡赤坂村に、現在 長者ケ原と名付けられているあたりに新庄太郎という長者が住んで居た。長者には二男一女があった。一女は明子と呼ばれ、その才色は 世に類のないほど優れた女性(16、7才ごろ)であった。
そもそも、この人の出生は母親が30才のころ、一夜、月の精が懐に入った夢を 見た日に受胎したということから、明子と名付けられたといわれ、両親の愛情は殊更に深かった。天性の美しさと優れた才能は、備後一円 はおろか風の便りに乗って国中に伝わり遂に天聴(天皇のお耳)に達した。天暦の帝(村上天皇)は大いに心を動かされ、女官の民部命婦に、 明子姫を連れて参れ!!と命じられた。

このような次第で赤坂村の明子姫は三人目?・・・の后に迎えられた。それより約二年を 経過されるころご懐妊の徴候が見られ、お世話役の命婦は神仏に祈誓を捧げてご安産を願った。月満ちて応和二年(962)の冬、目出度く 皇太子が誕生された。遂に故郷に伽藍(お寺)を建立し、一つには永世、安全守護の霊刹(霊げんあらたかなお寺)とし、二つには父母世 安楽(祖先の人々が極楽浄土に住むこと)を祈願いたしたいものと、天皇にこの旨を言上された。天皇は早速、嘉納(聞きとげる)され、 空也上人(空也念仏の祖)に勅命を下された。

福禅寺は明子姫の発願と、村上天皇の勅令と、空也上人の徳と、新庄太郎 という長者の財力によって出来上がった、いわゆる天皇勅願のお寺である。当時の民衆は長者を筆頭に、備後一帯の老若男女は、信仰の 誠をつくし、遠国の老若も等しく帰依(神仏にすがる)したといわれる。



正徳元年(1711)の九月重陽の火(旧九月の節句の日)は六代将軍家宣が将軍職を亨け継がれた目出度い日であった。 この時の韓使の上位八人は鞆の福禅寺に泊り、庭上に座席を移し、銘酒(保命酒)を汲み交わしながら歓談久しゅうした。この時、 従事の李邦彦(りほうげん)が起って「日東第一形勝」の六字の大揮毫を揮った。藩の上役がその理由を問うと、「我等は朝鮮に居て、 この地の風景が無双なことを、永年に亘って聞いて居たのでありましたがやはり評判通りで、今この目で確かめたことは日東 (日本の東方地方)の形勝でこれに過ぎるところはありません。 これは、ここにいる八人、十六の目が一致した感想であります」と答えたという。
爾来、世上に広くこの次第が伝えられたのであった。


2011-12-12



会社概要 | 特定商取引法に関する表示 | プライバシーポリシー | お客様センター | お問い合わせ |   top